田尻実 添書

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フィアキン1

任天堂からティアキンの映画化が発表されたが、『ゴジラ-1.0』を見た人々からは「我々もゴジラに憑依して破壊したい」「ただの傍観者ではつまらない」などの要望が東宝に殺到。ついにゴジラのゲーム化が動き出した。タイトルは『ゴジラの伝説・Fears of the Kingdom』略して“フィアキン”に決定か?
2023年11月10日



宮本ちゃんがプロデューサーとして参加し、制作費も任天堂が多分に出資するらしいのでご安心を‥‥。でも、しかし、ゼルダはともかくリンクの役は誰がやるのか知らん。妙な白人の兄ちゃんが演じるのだろうが、あの演技派のCGリンク君で充分じゃないの?とも思うし。まあ心配は尽きないのですが、すでに監督も決まり配給にはソニーピクチャーズが参加すると発表されたからには、後戻りはできない。公開は23、24、と経て25年か26年あたりか?

ゲーム『ティアキン』には追加コンテンツもなかったので、ゼルダチームはすでに次回作の制作に取り掛かっていると見た。つまり、その次回作と何らかの共通部分を映画にも反映させるのではないか。そういえば、去年のテレビ番組で“ブレワイ”がゲーム投票で一位を獲得した折り、宮本ちゃんが「次回作はもとより『ゼルダの伝説』はこれからも作り続けます」とコメントしていたのを思い出した。あの時点でゲームはもとより映画化の交渉も始まっていたのだろう。

さて、上に掲げた図ですが、すでにご覧になった方も多いと思われる『ゴジラ-1.0』。ティアキンの映画化を受けてゴジラのゲーム化を考えてみた。怪獣ゲームは“モンスターハンター”を筆頭に数多く出回っているようだが、プレイヤーは怪獣を狩る側で、プレイヤーが怪獣を操るゲームはないのではないか?例によってゲームの経験が極端に少ない筆者には判らないが、どうだろうこの際、あなたがモンスターになってみるのは?ゴジラになって東京を上海をNYをパリをロンドンを破壊してみるのは?

提案するのは『ゴジラの伝説・Fears of the Kingdom』略して“フィアキン”。もちろん開発するのは任天堂で、ゲーム機は“Switch Pro”。次期スイッチの高スペックでリアルな東京を破壊しまくる。熱線を吐きまくる。恐怖(Fears)に襲われ逃げ惑う人々で混乱する渋谷のスクランブル交差点。恐怖(Fears)に震えてセーヌ川に飛び込むパリジャン。恐怖(Fears)で脚がすくんで身動きできないNYのスパイダーマン。映画とゲームが入り乱れる乱世の昨今、東宝さん検討してみる価値はあるかもよ。

2023.11.27
フィアキン

穴
苦労して崖を登ったら
盾サーフィンやパラセールで降ればいい
とても爽快だ
苦労して穴を見つけて入ったが
入り口まで戻るのがチョー面倒
と云うことで“トーレルーフ”は好評らしいが
‥‥そうだろうか?
物理的現象を逸脱しすぎると
現実的快感は遠のいてしまう



ウルトラハンドはモノを右手で遠隔操作できる。持ち上げたり回転させたり。しかしニンテンドーが厳選したモノに限られる。さらには接着剤でくっつけることも可能だ。結果、かなり長めになってしまったり、相当な重量があるモノでも軽々と動かすことができる。物理的現象は任意に操作されており、その匙加減はニンテンドーの秘伝であり門外不出である。ゼルダの伝説・ブレワイ以降、他のゲームメーカーには真似ができず、PS患者系ユーチューバーは理解ができず、実業家の“ひろゆきも「クソゲー!」と捨て台詞を残して敗走の挙句、FF16に舞い戻る始末。

ウルトラハンドはマグネキャッチの進化版だが、回転機能などの改善を施して金属以外でも操作可能とした。金属だけだったら“溶接”だろうが、最近は車の生産ラインでも強力な“接着剤”が活躍しているらしく、ニンテンドーでも導入を決めた。しかしどうなんだろう?それほど強力であるなら、スクラビルドもウルトラハンドで兼用できたのでないかと思うのだが。剣や槍なら問題ないが、たぶん矢への接着は状況に応じてその都度選択しなければならないので、スクラビルドが採用された?‥‥いずれにせよ両者の機能はどちらも“接合”と云うことでは共通している。

モドレコについては、今回のストーリーに深く関わっており、傷ついたマスターソードが時を超えてリンクからゼルダへと手渡される、あのシーンを見た後ではイチャモンはつけにくい。地上絵の龍の涙がスローで王冠状に逆再生される映像にも納得である。また、地上から天空への移動に落下してくる岩塊を利用するという点でも。しかし同様に上下移動に特化したトーレルーフについては、少しあんちょこの感は否めない。ブレワイでは面倒ではあるが崖登りはイヤではなかった。私たちは重力には逆らえないと云う制約の下で生きている。泪は落下し滝の水も天空から落ちてくる。

矢を射れば重力に従って落下する。これがゲーム・ブレワイの骨頂だったように思う。アホなゲーマーの“不便”だから改善してほしいと云う要望は無視して欲しかった。そもそも私たちの現実は不便で不自由に満ちている。ワープポイントでの瞬間移動は必須だとしても。井戸に落下したら梯子で戻る。穴に入ったら、入った穴から外に出る。穴に入れたものは、穴から引き出す。入れたり出したりで摩擦が生じ‥‥いやそれだけでない。私たちの目・耳・舌・鼻・皮膚の五感を総動員して物理的体感を生理的快感に変換し、リンクのガンバリゲージは一時的には減少するが、心地よい疲労感に浸りながら回復する。


閃光
バービー人形やカウボーイから
嗤われたり 侮られないためには
彼らのやり口を真似ればいい
自前の原潜と核装備があれば
たぶん 国土の蹂躙は避けられる
ブッシュにやられたフセイン
今更ながら やり損なった男に合掌
千羽鶴では自分も自国も守れない

過ち2
ふるさとの街やかれ
身よりの骨うめし焦土に
今もたなびく
スターズ&ストライプス
舐め腐った大使エマニュエル
ああ 想い出そう原爆を
ああ 三度許すまじ原爆を
我らも持とう
我ら自前の原爆を



先の大戦では大敗を喫した私たちの国。今年もこの季節になると“戦争反対”ののぼりを立てて行進する方々がいる。悲惨な経験の“かたりべにテレビ屋さんはカメラの前で語らせる。核保有国に核廃絶を働きかけろと政府に迫る方々もいる。いずれの主張についても「ごもっとも」だと考えるし、私にも異論はない。しかし、できれば戦争反対のデモは露大使館の前で声を張り上げてほしい。原爆かたりべの御仁は、米国大使とか米軍基地とかアメリカンスクールの生徒さんを前にしてお願いしたい。核廃絶については国連での演説が有効だろう。

誰に、どの国に向けて訴えるのかが明確でないと、訴えの成果についての検証もできず、次の計画も立てづらい。「慣習だから毎年繰り返してます」では‥‥。昨年末、露によるの宇への侵攻があった。今も戦闘は継続している。露が宇に侵攻したのはプーチン大帝の私憤であり、領土拡大の野望であり、西側諸国への怨み等々だと推察できるが、いとも簡単に
戦争賛成”は実行されてしまった。平和の維持は持続出来なかった。それは力のバランスが崩れたからだと思うが、しかしながら世界には大国と小国が混在しており力のバランス”なんて望むべきもない。

北の刈り上げ将軍様が頻繁にロケットを打ち上げている。フセインの轍は踏まないとの歴史に学んだあがきだろうが、まぁわからないでもない。キム王朝の継続のためにはそれ相応の“力
”の維持が必要だ。内に向けては恐怖と強権。外に向けては核とミサイル。たぶんこの二つで“力”はバランスする。過大な出費で人民の生活は困窮するだろうが、少なくとも国土が蹂躙されることはないし、キムさんの身の安全は保証される。だからまぁわからないでもない。分からないのは日本国と日本人の方々だ。特に左派の“安全”への認識がわからない。

私はネトウヨなので、親米なのかと問われれば「ノー」であり、むろん親中ではあり得ない。日本人でありながら多くの日本人の
安全”への認識との間に齟齬があったように、親日でもない。ただ自分が生きているあいだは自分が望む日本であって欲しいだけの極めて自己中な老人だ。その観点から言えば、親米ではないが、現状としては日米安保は必要だと思う‥‥他に有効な選択肢が見当たらない。同床異夢で構わない。構わないが、将来的には自立度を上げる必要があるだろう。何せ異夢の二カ国だからだ。先方もそれをたぶん望んでいる。

いつまでも自立しない子供はカワイイ、いや、鬱陶しいだけである。軽蔑の対象であり嗤いモノである。同盟国としてはなんとも心許ない。だから彼らに倣って核を保有し、ミサイルや原潜などの手段も開発すべきだ。核で打ちのめした日本が核を保有することに、少しの懸念は抱くだろうし、邪魔をする勢力もあるだろうが、そこは強い意志と同盟の維持を約束すればいい。国防は何も軍備だけではないことは自明であり、左派が大好きな外交はもちろんだが、外交交渉を優位に進めるのも交渉のテーブルに付かせるのも、軍備の後ろ盾があってのこと。

‥‥‥多くの国が公用語を設けているが、日本は特に制定してない。国連では公用語に英語、フランス語、ロシア語、中国語、スペイン語、アラビア語の六つを制定している。四つは先の大戦の戦勝国であり残りの二つは人口が多いことだそうだが、無論、敗戦国である日本語もドイツ語もイタリア語も入っていない。軍備云々について自らの危惧を綴って来たが、それよりも心配なのが日本語。国連の公用語はともかく、この日本で日本語を公用語として、あえて制定しなければならない日が来るのではないか?それだけは阻止しなければ、とにかく自分が生きているあいだは。

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